
がんの手術を検討する中で「ロボット支援手術」という選択肢を目にし、気になっている方は少なくないでしょう。2020年に国内で臨床使用が始まったヒノトリ(hinotori)は、川崎重工業とシスメックスの合弁会社であるメディカロイドが開発した日本初の手術支援ロボットです。
従来はダヴィンチ(da Vinci)の独壇場だったロボット手術に、国産プラットフォームが加わったことで、医療機関や患者さんにとっての選択肢が広がりました。ヒノトリには8軸駆動のコンパクトなアームやドッキング不要の設計など、ダヴィンチとは異なる独自の特徴があります。
この記事では、ヒノトリの基本的な仕組みからダヴィンチとの具体的な違い、がん治療での活用状況まで、わかりやすく解説します。
ヒノトリ(hinotori)は日本発の手術支援ロボットとして誕生した
ヒノトリは、2020年8月に製造販売承認を取得し、同年12月に神戸大学で世界初の臨床手術が実施された国産の手術支援ロボットです。開発には約5年の歳月がかかり、5台のプロトタイプを経て実用化に至りました。
川崎重工業の産業ロボット技術を医療に応用
ヒノトリを開発したメディカロイド社は、2013年に川崎重工業とシスメックスが設立した合弁企業です。川崎重工業は半世紀以上にわたる産業用ロボットの開発実績を持っており、その精密制御技術を手術支援の分野へ転用しました。一方のシスメックスは血液検査機器で世界的なシェアを持ち、医療機器の品質管理に関する豊富なノウハウを提供しています。
「hinotori(ヒノトリ)」という名前は、手塚治虫の代表作『火の鳥』に由来します。その羽がすべての傷や病を癒すという物語にちなみ、患者さんの回復を願う思いが込められています。
3つのユニットで構成されるシステム全体像
ヒノトリは、サージカルコックピット(操作台)、オペレーションユニット(ロボットアーム本体)、モニターカート(画像表示装置)の3つのユニットで成り立っています。この3ユニット構成自体はダヴィンチと同じですが、各部の設計思想には大きな違いがあります。
とくにサージカルコックピットには、16対9のワイドビュー高精細3D映像を表示するビューワーが搭載されています。術者の姿勢に合わせて位置を柔軟に調整できるため、長時間の手術でも疲労を軽減する工夫がなされています。
国内の承認・保険適用の経緯と対象術式の広がり
2020年8月の承認後、同年9月に保険収載され、まず泌尿器科領域のロボット支援前立腺全摘除術に使用が始まりました。その後、2022年4月に泌尿器科の腎部分切除術、腎摘除術、膀胱全摘除術、副腎摘除術へ適用が拡大されました。
さらに2024年4月には消化器外科と婦人科にも適応が広がり、胃がんや直腸がんの手術、子宮全摘出術などにも活用されるようになりました。2024年11月には胸部外科領域の承認も取得しており、対象は着実に広がっています。
ダヴィンチとヒノトリの手術支援ロボットを比較して見える違い
両者は同じロボット支援手術というカテゴリに属しますが、設計思想や機能面で明確な差異があります。患者さんにとって重要な手術成績については、現時点で大きな差がないという研究報告が複数あります。
| 比較項目 | ヒノトリ | ダヴィンチ |
|---|---|---|
| 開発国 | 日本 | 米国 |
| アーム軸数 | 8軸 | 7軸 |
| ドッキング | 不要(ソフト校正) | 必要(物理接続) |
| 臨床実績 | 2020年〜 | 2000年〜 |
アームの軸数と動きの自由度が異なる
ヒノトリのロボットアームは8軸の関節構造を備えており、ダヴィンチの7軸より1軸多い設計です。軸が多いほどアームの動ける方向が増え、狭い体腔内でもより柔軟な操作が可能になります。
加えて、コンピュータ制御によるアーム間の干渉防止機能が搭載されており、アーム同士のぶつかり合いを減らせる点も特徴の一つです。
ドッキング不要の設計がもたらす利便性
ダヴィンチでは手術前にロボットアームをトロカー(体に挿入する筒)に物理的に接続する「ドッキング」作業が必要です。一方、ヒノトリはソフトウェアによるトロカー位置の校正(キャリブレーション)を採用しており、物理的なドッキングを必要としません。
このドッキングフリー設計により、術野(手術を行う清潔な領域)の確保がしやすくなり、体外でのアーム同士の衝突リスクも低減できます。準備時間の短縮にもつながるため、手術チーム全体の負担軽減に寄与します。
手術成績を比較した臨床研究の結果
泌尿器科領域での比較研究によると、ヒノトリはダヴィンチに比べて手術時間やコンソール時間がやや長くなる傾向がある一方、出血量、入院日数、重篤な合併症の発生率、切除断端陽性率には統計的な有意差が認められていません。740名の患者さんを対象にした系統的レビューとメタアナリシスでも、周術期の成績は同等であるとの結論が示されています。
つまり、手術の安全性と治療効果という観点では、両者に大きな差はないと現時点では考えられています。
ロボット支援手術ががん治療に与える恩恵とは
ロボット支援手術は、従来の開腹手術や通常の腹腔鏡手術と比べて、出血量の低減や術後の回復促進といった利点が報告されています。がん治療においても、こうしたメリットは患者さんの生活の質に直結します。
拡大3D映像による精密な視野
ロボット支援手術の大きな利点の一つが、高精細な3D拡大映像です。術者はモニターを通じて患部を10倍以上に拡大して観察でき、肉眼では判別しにくい微細な神経や血管の走行を確認しながら操作を進められます。
がん手術では腫瘍の取り残しを防ぎつつ、周囲の正常組織をできるだけ温存することが求められるため、こうした視認性の向上は手術精度に直結するといえるでしょう。
手ぶれ補正と多関節アームによる正確な操作
人間の手には生理的な微細振戦(手ぶれ)がありますが、ロボットシステムはこれを電子的に除去して鉗子の先端に伝えます。加えて、多関節アームは人間の手首以上の可動域を持ち、体の奥深くにある臓器にも正確にアプローチできます。
前立腺がん手術を例にとると、排尿機能や性機能に関わる神経の温存が術後の生活の質を大きく左右します。ロボットによる精密な操作は、こうした繊細な処置を安定して行うための助けとなります。
傷が小さく術後の回復が早い低侵襲手術
ロボット支援手術では、数か所の小さな切開(通常8〜12mm程度)からアームとカメラを挿入して手術を行います。開腹手術に比べて傷口が小さいため、術後の痛みが少なく、入院期間の短縮も期待できます。体力の回復が早まることで、がん治療の次の段階(化学療法や放射線治療など)への移行もスムーズになりやすいでしょう。
ヒノトリが活用されているがんの手術領域と報告されている臨床成績
2020年の臨床導入以降、ヒノトリによるがん手術は泌尿器科を中心に広がり、2023年末までに2300例を超える泌尿器科がん手術が実施されました。手術の種類ごとに良好な成績が報告されています。
前立腺がんに対するロボット支援根治的前立腺全摘除術
前立腺がんの根治手術は、ヒノトリが初めて臨床応用された術式です。4施設で実施された30例の初期臨床試験では、全例でロボット支援手術が完遂されました。ロボット使用時間の中央値は165分、推定出血量の中央値は162.5mLであり、ダヴィンチでの初期30例と遜色のない成績が得られています。
6名の学会認定プロクターが執刀したこの臨床試験では、重篤な合併症(Clavien-Dindo分類グレード3以上)の発生率は10%、切除断端陽性率は13.3%でした。こうした数値は、ダヴィンチによる初期症例の報告と同等の水準であり、新しいプラットフォームであっても十分な安全性を確保できることが示されました。
腎がんに対するロボット支援腎部分切除術・腎摘除術
腎臓の小さな腫瘍を切除する腎部分切除術でも、ヒノトリは有望な結果を示しています。神戸大学での30例の前向き研究では、全例で手術が予定通りに完遂され、切除断端の陽性例はゼロ、重大な合併症も発生しませんでした。
腎摘除術13例の初期報告でも、出血量の中央値が11mLと少量にとどまるなど、安全性が確認されています。
消化器がんや婦人科がんへの適用拡大
2024年の適応拡大により、胃がんに対する幽門側胃切除術や直腸がんに対する低位前方切除術でもヒノトリが使用されるようになりました。消化器がん領域での初期報告では、ダヴィンチからの移行に際して追加のラーニングカーブ(習熟曲線)を要しないという結果が示されています。
婦人科領域では、2022年12月に鹿児島大学病院でヒノトリによる世界初のロボット支援子宮全摘出術が実施されました。12例の初期成績から、婦人科疾患に対しても安全に適用できることが報告されています。
- 泌尿器科:前立腺全摘除術、腎部分切除術、腎摘除術、腎尿管全摘除術、膀胱全摘除術
- 消化器外科:胃切除術、直腸切除術、膵体尾部切除術
- 婦人科:子宮全摘出術
手術を受ける方が押さえておきたいヒノトリの利点と現在の課題
ヒノトリには国産ならではの強みがある一方、臨床導入からまだ日が浅いゆえの課題も残っています。手術を検討する際には、両面を理解しておくことが大切です。
国産であることが生むメンテナンスや改良の優位性
海外製のロボットでは、修理部品の取り寄せやメーカーとの時差を考慮したやり取りに時間がかかることがあります。ヒノトリは国内に開発拠点と製造工場を持つため、不具合への対応や機器のアップデートを迅速に行いやすい環境にあります。
実際に、臨床現場からのフィードバックを反映したシステム改修が継続的に進められており、ダヴィンチのように改良に長い待ち時間が生じにくい点はメリットといえるでしょう。
遠隔手術の実証が進む5Gネットワーク対応
ヒノトリは、5G商用回線を用いた遠隔ロボット手術の実証実験にも活用されています。神戸大学、メディカロイド、NTTドコモの共同プロジェクトでは、約100ミリ秒の通信遅延で安定した遠隔操作が可能であることが繰り返し検証されました。
2022年に策定された日本遠隔手術ガイドラインでは、エンドツーエンドの遅延を100ミリ秒以下に抑えることが要件とされており、ヒノトリのシステムはこの基準を満たしています。将来的には、専門医が不足する地域の患者さんにも高度ながん手術を届ける手段として大きな可能性を持っています。
器具のラインナップや実績面で残る課題
使用できる鉗子やデバイスの種類は、ダヴィンチに比べるとまだ限定的です。たとえば、膀胱全摘除術のような複雑な術式では、器具の不足が手術の効率に影響する場面もあると指摘されています。
アノテーション機能(術中に画像上で印をつけて指導する機能)も未搭載であり、後進の育成やメンタリングの質に改善の余地が残っている点は今後の開発課題でしょう。
臨床実績の面でも、ダヴィンチが20年以上・数百万例のデータを蓄積しているのに対し、ヒノトリは数年・数千例の段階にあります。長期的な治療成績や患者さんの予後に関するデータは、今後も継続的に検証していく必要があります。
がんのロボット手術を受ける医療機関を選ぶ際に確認したいポイント
どのロボットを使っているかだけでなく、その医療機関の執刀医の経験やチーム体制を総合的に確認することが、満足のいく治療につながります。
執刀医のロボット手術経験と症例数
ロボット支援手術の成績を大きく左右するのは、執刀医の技量と経験です。ヒノトリとダヴィンチのどちらを使っているかという以上に、その術式を何例こなしてきたかが重要な指標となります。
日本内視鏡外科学会のロボット支援手術プロクター(指導医)資格を持つ医師が在籍しているかどうかも一つの判断材料になるでしょう。
担当するがんの種類に対する施設の専門性
がんの種類によって、ロボット手術の難易度や注意点は異なります。前立腺がんのロボット手術実績が豊富な施設が、必ずしも胃がんのロボット手術に同じだけの経験を持つとは限りません。自分が治療を受けるがんの種類に対して、その施設がどれだけの症例を経験しているかを確認してください。
セカンドオピニオンと主治医への相談を組み合わせる
ロボット手術が適しているかどうかは、がんの進行度や患者さんの体の状態によって異なります。まず主治医にロボット支援手術の適応について相談し、必要に応じて他の医療機関のセカンドオピニオンを受けることをおすすめします。
複数の専門家から意見を聞くことは、自分に合った治療法を選ぶための確かな判断材料となるでしょう。
| 確認項目 | 具体的な内容 |
|---|---|
| 執刀医の経験 | 該当術式のロボット手術症例数 |
| プロクター資格 | 学会認定の指導医在籍の有無 |
| 導入ロボット | ヒノトリ・ダヴィンチの機種と台数 |
よくある質問
ヒノトリ(hinotori)はどのようながんの手術に使えますか?
ヒノトリは、泌尿器科・消化器外科・婦人科のがん手術に使用されています。具体的には、前立腺がんの前立腺全摘除術、腎がんの腎部分切除術や腎摘除術、膀胱がんの膀胱全摘除術、胃がんの幽門側胃切除術、直腸がんの低位前方切除術などが対象です。
2024年11月には胸部外科領域の承認も取得しており、適用範囲は今後さらに広がっていく見通しです。ただし、全ての医療機関でヒノトリが導入されているわけではないため、受診先に直接お問い合わせください。
ヒノトリとダヴィンチで手術の安全性に差はありますか?
現在までの臨床研究によると、ヒノトリとダヴィンチの手術成績に大きな差は認められていません。泌尿器科領域の系統的レビューでは、出血量や合併症の発生率、切除断端陽性率に統計的な有意差はないと報告されています。
ヒノトリの方がやや手術時間が長くなる傾向がありますが、これは新しいシステムへの習熟過程を反映したものと考えられており、安全性の面で劣っていることを示すものではありません。どちらのロボットを使うかよりも、執刀医の経験や施設の体制がより重要な要素です。
ヒノトリの手術支援ロボットにはダヴィンチにない特徴がありますか?
ヒノトリ独自の特徴として、8軸駆動のコンパクトなロボットアーム、ドッキング不要のソフトウェア校正方式、そして16対9のワイドビュー高精細3Dビューワーが挙げられます。アームの軸数がダヴィンチより1軸多いことで、より柔軟な動きが可能です。
ドッキング不要の設計は、手術準備の簡素化と術野の確保に貢献します。また、国産であるため、臨床現場の声を反映した改良やメンテナンス対応が迅速に行われやすい利点もあります。
ヒノトリによるロボット手術は患者にとってどのようなメリットがありますか?
ヒノトリに限らず、ロボット支援手術全般に共通するメリットとして、傷口が小さいこと、術後の痛みが少ないこと、入院期間が短くなりやすいことが挙げられます。高精細な3D拡大映像と手ぶれ補正機能により、繊細な操作が安定して行えるため、神経や血管の温存にも有利とされています。
ヒノトリならではのメリットとしては、国内開発・製造ゆえの機器メンテナンスの迅速さや、5G遠隔手術への対応など将来的な発展性が挙げられます。ただし、全ての患者さんにロボット手術が適しているわけではないため、主治医と十分に相談されることをおすすめします。
ヒノトリを導入している医療機関はどのように探せますか?
ヒノトリの製造元であるメディカロイド社の公式サイトや、手術を希望するがんの種類に対応した学会のウェブサイトで、導入施設の情報を確認できる場合があります。主治医に「ヒノトリによるロボット手術が可能な施設はあるか」と直接尋ねることも有効です。
導入施設は増加傾向にありますが、地域によっては利用できる医療機関が限られています。通院の利便性だけでなく、執刀医のロボット手術経験やその施設での症例数も合わせて確認し、総合的に判断されることが望ましいでしょう。
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この記事を書いた人 Wrote this article
前田 祐助 医学博士 / 医師
慶應義塾大学医学部大学院にて、がんの発生メカニズム(発癌機構)や、慢性炎症と腫瘍の関係性に関する基礎研究に従事し、医学博士号を取得。 特に、胃がんにおける炎症微小環境の解析や、細胞シグナル伝達(COX-2/PGE2経路など)による腫瘍形成の研究において実績を持つ。 現在は、大学病院や研究機関で培った「根拠(エビデンス)に基づく医療」の視点を活かし、疾患の早期発見や予防医療の啓発活動を行っている。 【保有資格・所属】 医学博士(慶應義塾大学)/ 医師免許 / 日本内科学会 / 日本医師会認定産業医