HER2を標的とする分子標的薬|乳がん・胃がん・肺がん等での治療選択

HER2を標的とする分子標的薬|乳がん・胃がん・肺がん等での治療選択

「HER2陽性」と告げられて、これからの治療がどう変わるのか不安に感じている方は少なくありません。まずお伝えしたいのは、HER2はがん細胞をねらい撃ちできる目印になるという事実です。

HER2を標的とする分子標的薬は、乳がんだけでなく胃がんや肺がんでも治療の柱になりつつあります。同じ「HER2」でも、がんの種類や進行の度合いによって使う薬や順番は変わってきます。

この記事では、薬の種類ごとの違いと、それぞれのがんでの治療選択を、むずかしい言葉をかみくだいて整理しました。

副作用への備えや検査でわかることもあわせて、落ち着いて治療に向き合うための知識をお届けします。

「HER2陽性」が示すがん細胞の目印と分子標的薬のねらい

HER2陽性とは、がん細胞の表面にHER2というタンパクが多く出ている状態を指します。この目印があるからこそ、HER2を狙う分子標的薬が力を発揮できます。

HER2タンパクは細胞の増殖を急がせるアクセル

HER2は、もともと細胞が増えるかどうかを調整しているタンパクです。これが過剰に増えると、がん細胞は「もっと増えろ」という命令を出し続けてしまいます。

言いかえると、アクセルが踏みっぱなしの状態です。分子標的薬はこのアクセルを抑え込み、増殖の信号を断ち切る働きをします。

正常な細胞にはHER2がほとんど出ていないため、目印を頼りにがん細胞をねらえる点が大きな特長といえます。攻撃の的を絞れるぶん、体への負担を抑えやすいと考えられています。

HER2を狙う薬は、こうしたがんの増えるからくりに直接はたらきかけます。やみくもに攻撃するのではなく、原因に近いところへ届く点が特徴でしょう。

HER2検査でわかること(IHCとFISH)

HER2が多いかどうかは、手術や生検でとった組織を調べて判定します。代表的なのが、染まり方の強さを見るIHC法と、遺伝子の数を数えるFISH法です。

IHCは0から3+までの4段階で評価し、3+なら陽性と判断します。2+のときは判定が難しいため、FISH法で遺伝子が増えているかを確かめます。

IHCスコア染まり方の見え方判定の目安
3+強い染まりが広く出る陽性
2+中くらいであいまいFISHで再確認
0〜1+ほとんど染まらない陰性(低発現を含む)

判定の結果は、その後に使える薬の幅を大きく左右します。だからこそ、最初の検査をていねいに行うことが治療の出発点になります。

HER2低発現(HER2-low)が開く新しい治療の入り口

近年は、これまで陰性とされてきた中にも「HER2低発現」という区分が注目を集めています。IHCで1+、あるいは2+でFISH陰性のタイプがこれにあたります。

わずかでもHER2が出ていれば、新しいタイプの薬が届く可能性が出てきました。陰性イコール打つ手なし、という時代ではなくなりつつあるのです。

ご自身がどの区分なのかは検査の結果しだいです。気になるときは、主治医にHER2の状態をたずねてみるとよいでしょう。

HER2を標的とする分子標的薬にはどんな種類があるのか

HER2を標的とする分子標的薬は、大きく3つのグループに分けられます。抗体薬、抗体に薬剤をつないだ複合体、そして飲み薬の阻害薬です。

種類代表的な薬はたらきの特徴
抗HER2抗体トラスツズマブ/ペルツズマブHER2に結合して信号を止める
抗体薬物複合体T-DM1/トラスツズマブ デルクステカン抗体が抗がん剤を運ぶ
チロシンキナーゼ阻害薬ラパチニブ など細胞の内側で信号を止める飲み薬

がん細胞に貼りつく抗HER2抗体

もっとも歴史が長いのが、トラスツズマブに代表される抗HER2抗体です。HER2にぴたりと結合して増殖の信号をさえぎりながら、体の免疫にも働きかけます。

ペルツズマブは結合する場所が異なるため、トラスツズマブと組み合わせると互いの効果を高め合います。2剤を併用する治療が、進行した乳がんで広く行われています。

トラスツズマブが登場する前と後では、HER2陽性がんの見通しは大きく変わりました。攻撃しにくいとされたタイプに、はっきりとねらえる的が見つかったからです。

薬剤を運ぶ抗体薬物複合体(ADC)

抗体に抗がん剤を結びつけたものが、抗体薬物複合体(ADC)です。抗体ががん細胞まで薬を運び、細胞の内部で抗がん剤を放つ仕組みを持ちます。

トラスツズマブ エムタンシン(T-DM1)やトラスツズマブ デルクステカンがこのタイプです。狙った細胞に薬を集めるため、効率よく攻撃できると考えられています。

運ばれた抗がん剤が周囲の細胞にも一部しみ出すタイプもあり、近くにひそむがん細胞まで届くと期待されています。

抗体薬物複合体は、効きめや副作用のあらわれ方が薬ごとに異なります。だからこそ、それぞれの特徴をふまえて選ぶことが大切になります。

信号を内側で止めるチロシンキナーゼ阻害薬

飲み薬として使うのが、ラパチニブなどのチロシンキナーゼ阻害薬です。細胞の内側に入り込み、HER2が出す増殖信号をさえぎります。

抗体が届きにくい場所への効きめが期待され、ほかの薬と組み合わせて使うこともあります。通院の負担を抑えやすい点も、飲み薬ならではの利点でしょう。

飲み薬は自宅で続けられる一方、毎日きちんと飲む工夫も大切になります。飲み忘れが心配なときは、薬局や主治医に相談しておくと安心です。

乳がんのHER2分子標的薬による治療選択は段階で変わる

乳がんでは、病期や治療歴によって使うHER2分子標的薬が変わります。早期なら再発の予防、進行・再発なら進行を抑えて症状をやわらげることが目標になります。

早期乳がんの術後・術前に使う分子標的薬

手術で取りきれる早期の乳がんでも、HER2陽性なら抗HER2薬を化学療法に加えるのが標準です。再発の危険を下げる目的で、トラスツズマブを1年間続ける方法が広く行われてきました。

再発のリスクが高い場合は、ペルツズマブを上乗せすることもあります。手術の前に薬で腫瘍を小さくしてから切除する進め方も増えてきました。

術前に薬がよく効いたかどうかは、その後の方針を考えるうえでの大切な手がかりになります。効きが十分でないときは、別の薬へ切りかえる判断もあり得ます。

転移・再発乳がんの一次治療

転移や再発をきたした乳がんでは、トラスツズマブとペルツズマブに抗がん剤を合わせた治療が一次治療の柱です。3剤を併用すると、進行を抑える期間を延ばせると報告されています。

体の状態やこれまでの治療をふまえて、組み合わせる抗がん剤を選びます。効果が続くあいだは同じ治療を継続し、進行の兆しが見えたら次の手を考えます。

治療の効果は、画像検査や症状の変化で定期的に確かめます。気になる変化を主治医に伝えることが、次の判断を支える材料になります。

効きめが弱まったあとの二次治療以降

一次治療のあとに進行した場合は、抗体薬物複合体が中心になります。トラスツズマブ デルクステカンは、従来のT-DM1と比べて病気の進行を抑える期間が長かったと示されました。

状況に応じて、飲み薬の阻害薬や別の併用へ切りかえることもあります。一つの薬が効かなくなっても、次の選択肢が用意されている点は心強いでしょう。

どの順番で薬を使うかは、効果と体への負担のバランスで決めます。一人ひとりの状況に合わせて、無理のない計画を立てていきます。

HER2低発現の乳がんに広がった選択肢

これまで打つ手が限られていたHER2低発現の乳がんにも、トラスツズマブ デルクステカンが届くようになりました。化学療法だけだった段階に、新しい一手が加わったといえます。

自分がこの区分にあてはまるかどうかは検査でわかります。治療の幅が広がった今だからこそ、HER2の状態を確かめておく意味は大きいでしょう。

段階治療の方向性代表的な薬
早期(術後)再発を予防するトラスツズマブ ±ペルツズマブ
転移・再発の一次進行を抑える抗HER2抗体2剤+抗がん剤
二次以降効果の立て直しトラスツズマブ デルクステカン

胃がん・食道胃接合部がんで使うHER2分子標的薬

HER2分子標的薬は乳がんだけのものではありません。進行した胃がんや食道胃接合部がんでも、HER2陽性なら治療の選択肢になります。

  • トラスツズマブ(抗HER2抗体)
  • フッ化ピリミジン系とプラチナ系の化学療法
  • トラスツズマブ デルクステカン(抗体薬物複合体)

これらをどう使うかは、HER2の状態と治療の段階で決まります。胃がんでも、まずはHER2を調べることが治療設計の入り口になります。

胃がんでもHER2を調べるのはなぜ?

胃がんの15〜20%ほどで、HER2が多く出ているとされています。治療方針を決めるため、進行した胃がんでもHER2検査がすすめられます。

乳がんとは判定の基準が少し異なる点に注意が必要です。同じ「陽性」でも、評価のしかたはがんの種類ごとに調整されています。

検査の値が境界に近いときは、追加の確認を行うこともあります。あいまいなまま進めず、しっかり確かめてから治療を選ぶ流れになっています。

一次治療はトラスツズマブと化学療法の併用

HER2陽性の進行胃がんでは、トラスツズマブを化学療法に加えるのが一次治療の基本です。抗がん剤だけのときより生存期間が延びたと報告されています。

この結果が、胃がんでHER2を狙う治療が定着するきっかけになりました。今では、診断のときにHER2を確かめる流れが定着しています。

進行したあとに使う抗体薬物複合体

一次治療のあとに進んでしまった場合、トラスツズマブ デルクステカンという選択肢があります。日本と韓国で行われた試験では、腫瘍が縮む割合と生存期間の改善が示されました。

胃がんでも、抗体薬物複合体が後半の治療を支える役割を担いつつあります。前の治療が効かなくなっても、次の一手が見込める時代になってきました。

新しい薬が加わったことで、胃がんでも治療を続けやすくなってきました。あきらめずに次の選択肢を探せる場面が、以前より広がっています。

肺がんのHER2遺伝子変異をねらう分子標的薬

肺がんでもHER2は治療の標的になり得ます。ただし乳がんや胃がんと違い、HER2の「遺伝子変異」が手がかりになる点が特徴です。

肺がんのHER2は「変異」が鍵になる

非小細胞肺がんの一部では、HER2の遺伝子そのものに変異が起きています。タンパクが多い・少ないではなく、設計図が書き換わっている点が問題になります。

この変異は肺がん全体の数%にみられ、決して多くはありません。だからこそ、見つけるための検査が大切になります。

遺伝子検査で変異を見つける

HER2変異があるかどうかは、がん組織や血液を使う遺伝子検査で調べます。複数の遺伝子を一度に調べるパネル検査を用いることもあります。

変異が見つかれば、それに合った分子標的薬を検討できます。検査を受けておくと、選べる治療の幅を見きわめやすくなります。

検査でわかるのはHER2変異だけではありません。ほかの治療につながる変化が同時に見つかることもあり、調べておく意義は小さくないでしょう。

HER2変異陽性肺がんに使われる分子標的薬

HER2変異が見つかった非小細胞肺がんには、トラスツズマブ デルクステカンが選択肢になります。標準治療のあとに進んだ患者で、腫瘍が縮む効果が示されました。

肺がんは治療の進歩が速い分野で、HER2を狙う薬の研究も続いています。新しい結果が出るたびに、選べる手段は少しずつ増えています。

がんの種類HER2の調べ方中心となる薬
乳がんIHC・FISHで発現を判定抗HER2抗体・ADC
胃がんIHC・FISHで発現を判定トラスツズマブ+化学療法
肺がん遺伝子検査で変異を確認トラスツズマブ デルクステカン

HER2分子標的薬の副作用と治療中に気をつけたいこと

分子標的薬は狙い撃ちとはいえ、副作用がまったくないわけではありません。代表的なものを知っておくと、体の変化に早く気づけます。

心臓への負担に気をつける

抗HER2抗体では、心臓のポンプ機能が弱まることがあります。多くは元に戻りますが、治療中は定期的に心機能を確かめます。

息切れやむくみ、急な体重の増加に気づいたら、早めに主治医へ伝えてください。早く対応するほど、安全に治療を続けやすくなります。

治療を始める前にも心臓の状態を確かめ、安心して始められるかを判断します。もともと心臓に不安がある方は、その点も含めて主治医と相談しておきましょう。

間質性肺疾患(ILD)のサイン

抗体薬物複合体では、間質性肺疾患という肺の炎症に気をつける必要があります。空せきや息苦しさ、発熱が続くときは見逃せません。

早く見つけて対応するほど、回復が期待できます。気になる症状はためらわず相談しましょう。

間質性肺疾患はまれですが、見過ごすと重くなることもあります。少しでもおかしいと感じたら、自己判断で様子を見すぎないことが大切です。

点滴のときに起こる反応

点滴の最中や直後に、発熱や寒気、発疹が出ることがあります。多くは初回に起こりやすく、対処しながら治療を続けられます。

治療を続けるために日常でできること

体調の小さな変化を記録しておくと、診察での相談がスムーズになります。次のような点を意識すると、治療と暮らしの両立がしやすくなります。

  • 体温と体重を毎日メモする
  • 息切れやせきの変化を書きとめる
  • 気になる症状は早めに連絡する
  • 服薬や通院の予定を家族と共有する

無理をためこまず、周囲や医療者に頼ることも治療の一部です。小さな気づきの積み重ねが、安心して治療を続ける支えになります。

よくある質問

HER2を標的とする分子標的薬はどのようながんに使えますか?

HER2を標的とする分子標的薬は、HER2が多い乳がんや胃がん、食道胃接合部がんで使われています。さらに、HER2の遺伝子変異がある非小細胞肺がんでも選択肢になります。

同じHER2でも、がんの種類によって調べ方や使う薬は変わります。まずは検査でHER2の状態を確かめることが出発点になります。

HER2分子標的薬と抗がん剤は何が違うのですか?

抗がん剤が増える細胞を広く攻撃するのに対し、HER2分子標的薬はHER2という目印を持つ細胞をねらい撃ちします。そのぶん、正常な細胞への影響を抑えやすいと考えられています。

とはいえ副作用がないわけではなく、心臓や肺への影響に注意が必要です。実際の治療では、抗がん剤と組み合わせて使うことも多くあります。

HER2分子標的薬には主にどんな副作用がありますか?

HER2分子標的薬では、心臓のポンプ機能の低下や、間質性肺疾患と呼ばれる肺の炎症が知られています。点滴に伴う発熱や寒気が出ることもあります。

息切れやむくみ、続くせきなどに気づいたら、早めに主治医へ伝えてください。定期的な検査で変化を見守りながら治療を進めます。

HER2低発現の乳がんでもHER2分子標的薬は使えますか?

これまで陰性とされてきたHER2低発現の乳がんでも、トラスツズマブ デルクステカンが選択肢になりました。わずかでもHER2が出ていれば届く可能性があります。

HER2低発現かどうかは検査での判定によります。気になる場合は、ご自身のHER2の状態を主治医に確認してみてください。

HER2分子標的薬は飲み薬と点滴のどちらですか?

HER2分子標的薬には、点滴で投与する抗体や抗体薬物複合体と、飲み薬のチロシンキナーゼ阻害薬があります。薬の種類によって投与のしかたは異なります。

どれを使うかは、がんの種類や進行度、これまでの治療をふまえて決まります。治療の計画は主治医とよく相談して選びましょう。

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この記事を書いた人 Wrote this article

前田 祐助

前田 祐助 医学博士 / 医師

慶應義塾大学医学部大学院にて、がんの発生メカニズム(発癌機構)や、慢性炎症と腫瘍の関係性に関する基礎研究に従事し、医学博士号を取得。 特に、胃がんにおける炎症微小環境の解析や、細胞シグナル伝達(COX-2/PGE2経路など)による腫瘍形成の研究において実績を持つ。 現在は、大学病院や研究機関で培った「根拠(エビデンス)に基づく医療」の視点を活かし、疾患の早期発見や予防医療の啓発活動を行っている。 【保有資格・所属】 医学博士(慶應義塾大学)/ 医師免許 / 日本内科学会 / 日本医師会認定産業医